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13 May2011 マウイ~ vol.2
13 May2011 マウイ~ハワイ~メリーモナーク
目的は「メリーモナーク観戦」。今や世界最高峰のフラのコンペとして歴史ある大会で
このたびも素晴らしいフラを堪能することができました。
その様子をたくさんの写真でご紹介したいと思います。
今回は、羽田離発着の「ハワイアンエアライン」を利用。私の実家からも近く便利至極な旅ができました。
まずは、羽田からオアフ島で乗り換え、マウイ島に。
写真が多いので何回かに分けて掲載したいと思います。
バスで端っこまで行ってタラップで搭乗。昔っぽくてワクワクしました。
機中から。翼にお花のマークがかわいいでしょ?出発は夜の12時でした。
マウイ島到着。ホテルはワイレアのゴルフ場の中のコンドミニアムです。
浜辺に下りるとこんな風景が!南国~~~~~(笑)
途中お店で買いだしをし、食材を調達。スーパーの敷地の片隅にもこんな光景が。
マウイ島の名物「マウイオニオン」
そして出来上がった夕飯が・・・
翌日は朝からマウイ島の半分を占める山「ハレアカラ」にドライブしました。
あいにく中腹あたりから濃い霧雨に。ナショナルパークの案内センターまで行って引き返してきました。
その下山途中にあるボタニカルガーデンに寄って、南国特有の派手な花々を愛でてきました。
絶景で有名なクラロッジ。ここでもピンクッションや、いろんな花々が咲き誇っていました。
私の大好きな花、ジンジャー。甘い甘い香りでした。
ピンクッションもすごい数の種類があるのを知りました。このアレンジ素敵でしょ?$100前後で買えますよ。
さてさて、まだまだ写真は続きます・・・・。
19 Apr久々の楽器
今月から月曜クラスは楽器のレッスンに入りました。
プイリ(puili)です。
初めてプイリを使う人がほとんどで(笑)ハウマナの皆さん四苦八苦な様子。
そういう私もかつてコンペに出場するのに、1年間ほど毎日楽器3点を振りまわして(暴れて?)いた時期もありました。でもあれから幾年月(笑)。すっかりなまってしまった左手は、いまいち。
でもレッスンでそんなことは言ってられません。
ハウマナの皆さんと一緒にいい汗かいてまいりました(笑)。
お題は「タフワフワイ」。なんと同じ曲で、あと「ウリウリ」と「イプ」のバージョンが控えているのです。
その第一弾としてのプイリ。
数々の打ち方に足がつくと、もう皆の眉毛が八の字にさがってきて、鏡越しでその顔をみてしまうと、思わずブブッ!と噴き出してしまうのでありました。
いやいや、笑ってる場合ではないのです。
「楽器は気合いよ!」と普段にもましてプイリの音にかき消されないよう大声をあげてのレッスン。今日はTシャツがびっしょりになるほどでした。
しかし、皆さんなんて楽しそうな顔をしてるのでしょう。私も教えながら爆笑に次ぐ爆笑で、喉がカラカラになるほどでございました。(笑)
そしてステップにフキが出てきて、プイリを打ちおろすシーンが出てくるのですが・・・・・
なんだか「HULA」というよりもはや「武士道」を感じませんか?(爆)
「伝七捕り物帳じゃないんだから!!」という私からしてひっくり返って笑ってるんですから・・・・・。
レッスン終了間際、とにかく「ポーズだけでも決めよう!」とパチリ(笑)
さて、この曲。贅沢なことにハワイの某ハラウ専属ミュージシャンの方のウクレレでの生歌を許可を得てCDにし、その方の美声でうっとりしながらレッスンしとります(笑)。マークさんありがとう!みんな日本で頑張ってレッスンしてますよ~~~!いつかお披露目するから期待?しててくださいね~~~~(笑)
ここ数日、余震もあまりなく楽しくレッスンできました。
とにかくハウマナさん達がスタジオに来て地震に遭うことなくレッスンでき、無事帰宅できるまでが一番の気にかかること。しばらくはまだちょっと緊張の日が続きそうです。
11 Apr今日で一カ月
あの日から今日で早、一か月経ってしまいました。
午後2時46分。我が家から東~東北方面の方に宮城・岩手が位置するので、そちらを向いて正座して黙祷しました。
午前中は、震災後久々のレッスンを天童で始めて、やっぱり身体を動かすと「澱んでいた気」が晴れるね、と皆さんで喜んでいたのもつかの間。
また夕方、大きな余震が来て。
夜のクラスのレッスンはそれでも、余震の合間を縫って?(なんか変な表現ですが・笑)なんとかレッスンを開始いたしました。
楽器プイリを使ってのレッスン。プイリ初めての生徒さんも交じって、嬌声をあげながらワイワイ、キャァキャァ(笑)。
そしてレッスン終了、帰宅のため車に乗ったとたんラジオから聞こえたのは「緊急地震警報」。
また揺れました。
仙台の知人の女性は、ボランティアで可能な限り、被災地にボランティアバスに乗って通い、被害に遭われた方の家の片づけをしてます。
まだ水が引かない家。濡れて重たくて持ち上がない畳。ヘドロの臭い。
2時46分も、そんな作業の中だったとおっしゃってました。
私に出来ること。出来る範囲で。今日も義援金を寄付。
そういえば、我が家の娘2匹は、余震が来たり地鳴りがすると、秘密の場所にすかさず走りこんで避難するよになりました(笑)。それ以外はべったり飼い主にくっついて。まるで「赤ちゃん返り」のようです(笑)。
09 Aprスタジオの天井から・・・
今日、震災後、当日夜中の片づけの後、初めて天童スタジオに行ってきました。
おとといの大きな余震もあったので、心配だったのです。
シャッターを開けてスタジオに入った私の目に飛び込んできたのは、天井にビルトインされてたエアコンが外れて、半分、落ちかけてる姿でした(゜-゜)。
そろって2台、天井からぶら下がってる姿は異様。(笑)
「3.11」の夜中来たときには大丈夫だったのが、3日前の余震でこらえきれず落下したのでしょう。
一緒に行ってもらった夫がなんとか天井裏に潜り込み、四苦八苦してなんとか応急処置で直してくれたのですが、なんと天井からつりさげてあったフックから揺れて外れて、落ちかけてたとのこと。
床にはセッコウボードのかけらがたくさん落ちていて、掃除機で綺麗に掃除してきました。
そして突っ張り棒形式で、角材のフレームを天井から床にがっちり組んで、そこに張ってあった鏡。
奇跡的に今回の地震で1枚も割れなかったのですが、その角材のフレームごと、かなりずれていたことがわかりました。
そしておとといの余震で、元に戻しておいた棚の上のものがすべてまた下に落ちていて、がっかり。
ハワイアンウォーターのサーバーも倒れた衝撃でジョイントが外れ、水漏れ状態だったのですが、それも修理できました。
トイレの中の棚のものも皆落下してたのですが、細かいものまで皆直し、掃除し帰宅したのでありました。
スタジオが入ってる建物は、築年数が古いので心配だったのですが、まさかこんな形で天井からエアコンがぶら下がる光景を目撃することになるとは(笑)。
レッスン中でなくてよかった・・・・・。
今、このHPの更新最中にも地鳴りがしてまた大きく揺れました。
はぁ・・・・早く平穏な日に戻りたいなぁ。
08 Apr4月になってました。
気がつけば、暦は4月になってました。
「3.11」からまもなく1か月経とうとしてます。
原発はますます酷い状況に、でも、時計はおかまいなしに時を進めていきます。
ライフラインも交通状況もどんどん復旧に向かっている最中、昨夜また大きな余震がありました。
余震というには程遠い、「本震」に近かった揺れに、恐怖でまた身体がこわばってしまいました。
山形は一晩停電したのみで、なんとか電気の復旧は大丈夫だったのですが、また宮城中心にあちこちで被害がでてしまったようです。
「せっかく気を取り直し、そしていろんな片づけも済んで、さぁ、これからという時に、またこんな揺れは本当に嫌だ」と宮城の知人が嘆いてました。
私もようやく少ない量ですが、灯油もガソリンも手に入り「日常」に戻りつつあるところに、ガツンとやられたようで、気持ち的にショックでした。
でもなんだか「負けてられない」(笑)というのが正直な感想で。神様に歯向かう気はさらさらありませんが、
揺れてる最中なんだか猛烈に腹が立ちながら、タンスや家具を抑えておりました。一体、誰に腹を立ててたんでしょう、私は(笑)。
さて、そんな今週から、ようやく震災後初のレッスンを再開いたしました。
ほぼ一カ月ぶりに会う生徒さん達を見て、ほんとに安心し、そして嬉しかった。
レッスン前に皆で手を繋いで輪になり、いろんな思いをこめて「黙祷」を捧げました。
その後ベーシックでたっぷり汗をかいた皆さんの顔は、なんだかとってもスッキリして見えました。
皆さん素直に「フラが出来て嬉しい」と、顔が明るくなってくれて。
もちろん中には「職場や友人達から、こんな時フラなんて自粛しろ」と言われ、レッスンに来られない方もいらっしゃいましたが。
「出来る範囲で、出来るようになったらレッスンに来てね。いつでも待ってるからね」と声をかけることしかできなかったけど。
どうか一日でも早く、全員そろってフラ出来る日が来ればいいなと。
そんな中、素敵なyoutubeに出会ったので、皆さんにご紹介しますね。
私は一日に何回も見てはパワーチャージしております(笑)。
Japan Earthquake \”take my hand\” (SHORT VERSION) by Blaise Plant
今年のお正月、いわき市にある「アクアマリン福島」に行き、かわいい海洋動物達を見てきました。その時「ごまふあざらし」もいて、この地震でやはり甚大な被害を受けたそこから、「鴨川シーワールド」にそのゴマちゃん達がなんとか移動できたことを知りホッとしていたのですが、ニュースで、そのゴマちゃんのメスがBabyを産んだと報道してました。
よかった!!
出来ることから、出来る範囲で。
27 MarPray for Japan & Play for Japan
震災後、早くも2週間以上、まもなく3週間になろうとしています。
被災地の人々の援助の格差が浮き彫りになる中、それでも復旧にむけて大動脈である交通、物資がどんどん東北に流れ込んできています。
我が家はといえば、相変わらずのガソリン・灯油不足は解消できてませんが、それでも普通に生活できてます。
巷では、私が悲壮感に包まれ、泣いて引きこもりをしてるという噂が流れてるようですが(このHPを見ればそう受け取れる!と夫に叱られた・笑)全然元気です!大丈夫ですよ!暖房なしの我が家ですが只今、室温10度もあります(笑)。いっぱい着こんで動いてます。
なんと20年ぶりに乗る自転車で近所をうろつき、所用を済ませ、汗をダクダクとかいてる日々です。大体が車社会の山形。ガソリンがなくて動かせない車を横目に、自分の足で漕ぐ自転車のペダルは重たかった~~~。
そんな中世間では自粛ムードが高まり、もちろんそれに賛同することもいろいろあるのですが、甲子園が始まりました。その開会式で、人生もっとも心に残る選手宣誓を聞き、胸が震えました。
創志学園(岡山)野山慎介主将(2年)
宣誓。 私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。 今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。 被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。 人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。 私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。 「がんばろう!日本」 生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。 平成23年3月23日
この立派な言葉を一字一句心の底から「言葉」として発し、宣誓した野山君。16歳という青年が、こんな力強く思いやりと希望にあふれたことを言えるなんて。ご本人ももちろん、親御さんも周囲の関係者の方々もきっと素晴らしい方達に違いないと思いました。そして居並ぶ選手皆の顔が真剣真摯精鋭で、この子達の顔を見ただけでも「日本に未来はある」となんだか猛烈に嬉しくなってしまいました。
そして、被災後お教室の開始もどうしようか迷いに迷っていた私の背中を、この言葉が押してくれるような気がしました。
まずは、前に進まなくては。
今のこのネット社会。テレビ・ラジオでは絶対流さない、被災後の無数な凄惨極まる映像写真を見ることができる現実。頭上を飛んでくヘリの爆音に、その映像が重なる。どうしたらいい?何ができる?ともどかしい感情に揺さぶられ、でも何もできない、しない自分にただ時間は過ぎていきました。
メディアでは「震災泥棒は極刑に処せ」とありますが、家も家族も失って、何もない地獄の中で、被災地で亡くなられた方のご遺体から財布を抜いて現金を盗る姿に、私はそんな言葉は言う資格がないと気付きました。「自分がこうなったらどうする?」と。着の身着のままで逃げ、すべてをなくし、それでもモノを買って食べて生きてかなければならないことになったら、自分はどうしてしまうのだろうと。もちろん被災者以外の火事場泥棒的な犯罪は重刑当然ですが。そして避難場所に行かず、壊れた家の中で被災してる人に救援物資がいきわたらない現実。
だから「お教室4月再会予定」を連絡した先々で「こんな時にフラなんかやる気にならない」「何を考えてるんだ」「ガソリンがなくてレッスンにいけない」という数々のお叱りをいただきました。
正直5月連休明けを教室再開にしたらどうかと自分なりに思ってたのですが、早くレッスン再開を希望する方もいて、「これる生徒さんだけでもレッスンをしなければ」とようやく決めたのでした。
同じ県内でも大した被害もなく、物資もガソリンもそこそこ手に入る人もたくさんおり、地域によって大分差があるのも時間経過とともに知りました。普通に生活できて、ニュースでも綺麗な部分しか流さないのを、見れば早く「普通」に戻りたいのだなと。
だがしかし。大災害による人の死と破壊を目にしても、自分が平気ならすぐ「hula」したいという気持ちに、私はどうしてもどうしてもなることができませんでした。正直、もうこの先、「Hula」をできないかも・・と。
誤解のないように書きます。これが今回の震災に遭われず、普通に暮らされてる方々に向かって言ってるのではありません。私自身の私だけの気持ちです。ましてやあの揺れを経験し、恐怖と絶望を味わった身として、自分がその後平気ならすぐ踊れるかって・・・・。こんな気持ちのままじゃフラなんかできない、と思っていたのです。
でも、日々いろんな方からの励ましをいただき、そして世界の人々が日本のために祈ってくれてる事実。
被災地の方々はもっと辛いんだ、動ける自分が動かなくてどうする、と思い直すことができました。
「Pray for Japan」 ほんとに今の私にはそれしかできない。
「Play for Japan」 そう。動かなければ、今から。
創志学園(岡山)野山慎介君の
人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。 私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
の言葉を胸に、まずは、足もとがどうなるか見えてない状況だけど、一歩踏み出さねばと思ってます。
お叱りや諸事情を考え、5月連休明け、お教室再スタートにしたところもありますが、来月スタートのお教室の皆さんと頑張っていかねば!と思っています。
なんのためのフラ?アロハの心のフラ?いいえ、自分のためのフラです。
自分が元気になれるのがフラだから。それしかないから。自分が充電できなきゃ「楽しく」も「元気」もないんだという当たり前のことに今回気付かされました。
なんだか勝手なこと言ってると思われても仕方ないけど。それが正直な気持ちです。
次回からは気持ち切り替え、「元気」がでるようなHPにしなければ!
頑張ります。
そして万かんの思いを込めて「Pray for Japan」。
21 Mar影響
福島原発の問題が、どんどん深刻化してきてます。
命がけで消火活動にあたった人々がいるというのに、「風評被害」という見えない敵が
また福島や周辺を襲っている。
そして国は、放射能の汚染に関して「人が浴びてよい基準値」を上げるという、茶番をしては
国民を愚弄している事実。
私はどんなに国が「安全だ」と言っても、信じません。
だからもう一度ここに載せます。
「原発がどんなものか知ってほしい」平井憲夫著
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
今だからこそ、福島、茨城そして宮城等、原発周辺で採れる作物をあえて買いたい。
だって洗えば平気なんでしょ?
乳牛のミルクを泣く泣く捨ててる農家。
「安全」ならそれらを食べても飲んでも平気なんじゃありませんか?
「安全」と言いながら「買うな」という矛盾。
でも、もし自分が妊娠中だったり、子供がいたら。
こんな強気は言えないでしょう。
だからこそ、情報を隠ぺいせず、きちんと国民に知らせてほしい。
だが、無理でしょう。一国のヘソである総理大臣からして見るも無残なリーダーシップのなさ。
悲しいことに「あいまいさ」と「愚弄」が服を着て歩いてるとしか、お大臣様達が見えなくなりました。
そして未だに不思議なのが「東電」の社長さんはいつ会見してくれるんでしょうね(笑)
会見したらしいと友人から聞きましたが、影が薄いんだか記憶にありません。
相変わらず、市井はガソリンを求めての長蛇の列。しかしそれは「とりあえずストックしたい」という自己中の人々が大半で、出勤や、緊急に必要な方々にはガソリンが行き届かないという現実となっています。
ガソリンスタンドで働いてる人が「大半の人がメモリ8割はガソリンが入ってる状態なのに給油しにくる」と。
東京の実家で暮らす親から「どんどん物資が出回ってまもなくそちらにもガソリンは行くはず」と励ましてくれますが、山形県は今月いっぱいでも、今の状態は解消されないのではと思ってしまいます。
緊急でも通勤もない状態の今の私にガソリンを求めて長蛇の列に並ぶ理由もないので、やはり今日も並びませんでした。
TVで被災地のガソリン給油の長蛇の列にエンジンを切って、毛布で寒さを凌ぎながら並ぶ老夫婦が映りました。「身内が震災で亡くなって、遺体確認に離れた町の体育館に行きたいのだが、ガソリンがない」と。
そして火葬がおいつかなくなり、被災地ではとうとう「土葬」が認可され実施され始めました。
私の住む天童にも「火葬」のため、被災地から遠く運ばれ火葬される方々が溢れています。
でも、こちらも燃料不足で、一日わずか5体しか火葬できない。あちらこちらで途方に暮れる場面が
続出してる現実を知ってでも、私はガソリンが欲しくない。
ブログで勝手を書いてる私ですが。
昨日今日と寝込んでしまいました。どうにもこうにも起き上がれず。
情けないけど、二日間寝てました。
そんな日曜日の朝5時からradiko.jpでハワイの情報番組ラジオ「ウキウキハワイ」をパソコンを通して聴きました。
ハワイのミュージシャンの方々が震災復興を願ってライブをしてくれた放送だったのです。
あの青空と風と海と人々のざわめきをバックに流れてくる音楽を聞いてたら、なんだか涙が止まらなくなってしまって困りました。
でも昨日は震災9日ぶりに80歳と16歳の祖母と孫が救出されたというニュースに励まされ。
不安とストレスがないまぜになって身体を揺さぶりますが、生きてるからこそ味わうことであって、だからこそどんなことでも逃げずに体験せねばと思ってます。
19 Marスーパームーン
震災9日目。
今宵の月は「スーパームーン」というそうです。
月が19年ぶりの大接近をして、普段よりも14%大きく、30%も明るいとか。
それを聞いて先ほど庭に出てみました。
やはり大きくて黄色みが濃いお月さまでした。
このスーパームーンの時、なぜか大地震が多いと。
スマトラ大地震の時も、このスーパームーンだったらしく。
月と地球の不思議な関係に驚いたのでありました。
さて、今日は天気がよく晴天。暖房がない部屋で厚着をしてたのを、ちょっと薄着にして
身体が軽くなりました。お天道様ってなんてありがたいのでしょう。
そんなマッタリとした家から市中に出ると、相変わらず給油の長い列が目に入ります。
我が家の近所は一人暮らしのお年寄りが多く、何かと今回のことでも巡回?をしては
気を配っていたのですが、「灯油を分けてくれ」と言われ、夫が我が家もほとんどない
灯油を分けてあげてしまいました。
私的には「うっ」と一瞬胸が詰まったのですが、その時頭にぽっかり浮かんだのが
「お互い様」と「シェア」という言葉。
そう。こういう時だからこそ「シェア」しなければ。口で言ってないで実践しなければ。
もうすっかりカラになったホームタンクを夫婦して見て「なんとかなるさ」と言い合った昼間でした。
TVでは震災後の救援の様子や、被災者の様子が伝わってきます。
絶望的なところにいる人々が手を携え、困難辛苦に立ち向かってるのを見ると
ただひたすら感動して、胸を震わせてます。
そんな午後、被災した友人から、携帯の写メールをもらいました。
「我が家の前の光景です。今日震災後初めて物資、卵4個トマト2個水1リットルが配給になりました」と書いてあり、添付された写真がこれでした。
改めて「お互い生きててよかったね」としみじみ話し合いました。
「ガソリンが補給できたら、会いにいくよ!」と励まして電話をきりましたが、またしばしこの写真をみては言葉にならない思いを胸の中にしまいました。
そして昨夜。一人お風呂に入っていた時(我が家温泉なのでお湯は出るのです)なぜかこの歌を唐突に思い出し、涙にくれてしまいました。
今までHULAをしてて、こんなに胸にせまった曲はなかった。
こんなに悲しみが深くしみた曲は初めてでした。
きっと今後生きて行く上で、何かあったら、この歌に戻り、原点に返れるそんな歌になるんではないかと。
アンクル・エドに習ったこの曲は、私の心の一番深いところに降り立ち、そして居続けひっそり育つ。
そんな予感がします。
↓ここをクリックしてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=v3kIsPWllbM
ハワイ島のミロリというところを、津波が襲い、村ごと流されてしまったの内容の歌。
人々が荷物を持ち、手をとりあい、赤ちゃんを抱き締め、逃げ惑う。行方不明だった子供が海辺の洞窟で奇跡的に発見され、みな神に感謝し、うれし涙にくれた・・・という大雑把ですが、そんな内容です。
アンクルに教わった時は、漠然としか思い浮かばず踊っていたのですが、今回の津波はその漠然さを奪い去っていきました。
そんな凄まじい出来事を、こんな切なく胸うつ歌にできるハワイの人は、なんという心の持ち主なのでしょう。
スーパームーンを見ながら、そんなことを思う夜でした。
“La `Elima” La elima o Pepeluali Waimaka helele`i ke alanui 2月5日涙が道を覆います Paiki pu`olo pa`a i ka lima Waimaka helele`i i ke alanui! バッグをしっかりと掴みます。涙が道路を覆います。 Penei pepe `alala nei He hu`i ma`e`ele kou nui kino 赤ちゃんが泣きわめく。悲しみで身体が麻痺します。 Ha`ina `ia mai ana ka puana He mele he inoa no Miloli`i 物語は伝えられていきます。これはMiloli`iの歌。
18 Mar今日で・・・
あの辛い日から、今日で早くも1週間経ってしまいました。
午後2時46分。
宮城方面に向かい、正座をし、合掌しながら私は涙がとまりませんでした。
あの時間から、人生が変わってしまった。
そして時間経過ともに生存者の発見も数が少なくなってきてます。
時間は残酷。
被災地から救援されてるところと、ひずみのように救援から漏れてしまってる
ブラインドエリアの人々の明暗化がはっきりしてきてしまいました。
道路・鉄道網はものすごい勢いで整備・復旧されてますが、救助の太いパイプは福島以降北に向かい、千葉・茨城をどうにも素通りしてしまってる箇所が出てきてるようです。
もちろん必死の勢いで救助に命を賭けられてる方がおられるのは承知してます。本当にありがたいし、頭がさがりますが。
震災されて、未だ食糧も水も行き届かない茨城の方が、お子さんのミルクが尽きて、赤ちゃん、餓死されてしまったそうです。
一体、1週間前にこんな壮絶なことが、この今の時代起こると、誰が想像したでしょうか。
義援金として赤十字は「お金」を求めますが、実際生きるのは、やはり「物資」だと思う私に
こんなサイトをお友達から教えていただきました。
もしご興味のある方はご参考になされてください。
http://www.ud-web.com/oshirase3.htm
そして、もう一つ。
是非、これを最後まで読んでみてください。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
これを書かれた方は、もうすでにこの世にはおりませんが。
私の住む山形県も少しずつ、物資が戻りつつあるようです。
相変わらず燃料(ガソリン・灯油)は手に入りませんが。
でも焦らず待ちます。
昨日の吹雪とは一転、今日は晴天に恵まれました。
おかげで暖房なしでも比較的楽にすごせて。
被災地の方にも一日でも早く、暖かい場所に戻ってほしい。
日中、晴天に背中を押されて、部屋の掃除をしていたら、轟音と地鳴りのようなものがして「あっ!また地震!!」と恐怖で身が固まった私の頭上を、自衛隊の双発のヘリコプターが何機もものすごい勢いで仙台方面に飛んで行きました。24時間、救援物資及び救援部隊の中継基地になってる山形空港がすぐ近くなので、ここしばらく頭上が賑やかなのですが、こんなに低空飛行で気合い?一杯の飛行は初めてだったと思います。
震災後、ちょっとの音と振動に信じられないくらい臆病になった私は、それだけで心臓がバクバクしましたが、その双発ヘリに向かい、思わずこぶしを振り上げ「頑張れ!!」と叫んでしまいました。
頑張れ!頑張れ!
どうか一人でも貴重な命が救われるように。
みんな、頑張れ!